新着作品

2007年02月06日

私の×造(チョメゾウ) 「悪童!メンゴ!」

6年生になると、×造は忽然と姿を消した。
一人っ子の×造は団地の同じ棟にいた。小さい頃、近くの公園には、いつも黒眼鏡の×造の「父ちゃん」が一緒で、顔が恐かったけど、俺も色々買ってもらったり、一緒に遊んで貰っていた。
4年生頃からからだろうか、その「父ちゃん」を見かけなくなり、×造の雰囲気も変わってしまった。
目つきが暗く、服装はだらしなく、顔や腕に小さい傷が増え、肌が黒くなった。
実はもともと母子家庭で、「父ちゃん」が蒸発した後、母親が夜の仕事に出るようになり、×造は夜遅くまで、中学生らとゲーセンに出入りしていたらしい。小学生のくせに金使いが荒かった、とも聞いた。
かくして×造は皆から敬遠され始め、×造も仲間に入って来なくなった。

それからしばらくして俺達、普通の小学生も、ゲーセンの大流行に感染した。
その頃のゲーセンは、どこも先客で満席、たいてい中学生以上の連中が、テーブルに小銭を積んで、人気ゲームを占有していた。
そのため俺達は、学校が終わると、とりあえず近所の駄菓子屋に走った。10円のインベーダーやその類いが置いてあったからだ。
但し、そういう店でも、新しいゲームは50円か100円だったから、たまに小金持ちの同級生が遊んでいれば背後に群がって、小便の時などに交代させて貰ったり、ゲームの電源をガチャガチャやって[残数99]とかにするインチキ中学生に媚びたりしていた。

もちろん俺達も、それを良しとしていた訳じゃない。日々、小銭集めには精進した。
夏場はカブトやクワガタを取って、街のペットショップで売り捌き、虫が取れなきゃ自宅や近所の1リットル瓶を片っ端から酒屋に持ち込んで換金した。
売り物が無ければ、近所中の自動販売機を練り歩き、祈りを捧げるように自販機の下を物色した。
酒屋の裏からケースごと空瓶を持ち出して、別の酒屋で換金するやつもいたし、車上荒らしで捕まったやつもいた。
そんな中での小学5年生の春休み、再び俺は×造と接触したのだった。

大型スーパーの屋上にあるゲームコーナーの帰り、俺が出口付近の自販機など物色していると、
「なーにやってるだかっ」と言って、床にしゃがんでいた俺の背後に×造がいた。×造はネックレスなどして、少し年長に見えた。でも立つと俺のほうが大きく、やっぱり調子づいた悪ガキにしか見えなかった。
「いいこん教えてやるから来おし」(いい事教えてやるから来なよ)
戸惑いながらも俺は、手招きする×造に従って、スーパーの駐車場周辺で「使えるレシート」を探し回った。
×造はしたり顔でゴミ箱を漁り、俺は自転車置き場をうろついた。
<T1デンチ2パック * 10 … … 合計\3,700>
と記載のあるレシートを見つけて×造に見せると「オオ、コレ!」と俺から奪い取り、ちょこまかと店内に消えた。

慌てて俺は、2回へ上がっていく×造の後を追った。
×造は、エスカレーターの向こう側の電気関連売り場で、例のレシートを確認しながら、単一乾電池2本パックを丹念に物色していた。
悪いことしてる!そう思った途端、俺は息が止まりそうで、×造に近づけなくなった。
目当ての乾電池を抱えた×造は、エスカレーターから1階へ降りていった。
身を隠していた俺は、わざわざ階段を使って×造を追った。

1階は夕方の買い物客で込み合う食品売り場で、×造は、ひしめく主婦達の間を縫って、一番手前のレジに辿り着いた。俺は隠れて、×造の動作を覗いていた。

レジを打つ店員に×造が何か話した。
店員は驚いたような顔をして、×造が抱えている電池の山を凝視した。
レジを待つ主婦達に会釈した店員は、×造から電池を受け取った。
すかさず×造が、かのレシートを店員の鼻先に差し出した。
レジを待つ主婦が何か言った。再び店員は、主婦達に会釈したが、×造はじっと店員を見ていた。
店員は、電池を置いてレシートを手に取り何か書き込んで、ハンコ?を押し、レジを打って現金と、新しいレシートを×造に手渡した。
×造は少し笑って踵を返し、店員はもう一度主婦達に詫びていた。

颯爽と外に出た×造を追って声をかけると、×造は、さも面倒くさそうに俺を一瞥し、目で人気のない方を指した。
俺は、なぜか気まずい思いで、自転車置き場の一番奥までついて行った。
×造は、俺の手に千円札をのせた。「うそ!」俺は思わぬ収穫に仰天、×造のネックレスが神々しく感じられた。
「明日Yマートでやるから来おし」
そう言って、母親が仕事に出る時間だからと、×造は自転車で走り去った。

それきり、ゲーセンに行っても、スーパーに行っても、×造と会うことはなかった。小学校でも、一度も見かけなかった。
×造は、あの春休み中に補導され、その件で母親と警察の間でもトラブルが起こり、×造だけ別の県の親戚に引き取られたらしかった。

「明日Yマートでやるから来おし」
…約束の当日、俺は恐くなって、家から一歩も出なかったのである。



 作者・chitokuさんの自己紹介とプロフィール
posted by 村松恒平 at 23:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の×造(チョメゾウ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月13日

妄想だけは電車の中ですくすく育つ 駆込み乗車 その2

 田中洋一君は新婚であった。新婚と言っても6ヶ月を過ぎようとしているのだからアツアツと言うには微妙な時期である。午前様でも堂々と手ぶらで帰るけど、休みの日には、手を握りながらお散歩をすると言うくらいの関係である。

 その日は、重要な会議がお客さんのオフィスであるというのに妙に間が悪くて、会社を出ようとすると部長に捕まり、バスはギリギリで乗り遅れ、電車は信号故障に引っかかってしまった。そんなこんなで約束の時間15:00に15分も遅刻してしまった。駅で待ち合わせしていた福山からすごい文句を言われながら駅の階段を駆け上るはめになってしまった。
 これ以上開けないほど足を広げて階段を上り、息を切らせて、ホームに上がったときは、目の前に停車している電車に最後の人が吸い込まれようとしていた。「ヤベー!ダッシュだ」二人は大慌てでドアに走って行き電車に飛び込んだ。福山は先に飛び込み、田中君も運動神経は良い方なので、ジャンプして間一髪間に合うはずであった。ところが彼の持っていたカバンが始発を待っていた人の背中にぶつかり右手がホームに残った。
 瞬間 ドアが閉まった。ざくざくざくという肉を切る音とゴキっと言う骨が砕ける鈍い音が田中君の耳に届いた。

「洋一大丈夫かよ」福山が覗き込む。
「ウーン大丈夫じゃないみたいだ」と、うめき声に近い声で田中君が答える。
「あれ?お前右手は」
「さっき、もって行かれちゃたみたいだ」
田中君は左手で肩を押さえているが、指の間から血がどくどくと流れている。右半身は肩のところから切られてなくなっており白い肩甲骨がむき出しに現れていた。彼らは血の固まりが早いのでしばらくすると出血はかなり収まってきたがそれでも右肩の殆どをやられていたのでかなりの量の出血だ。
「次の駅で病院にいったほうが良いんじゃないか。」
「ああ、そうだなぁ、悪いけど頼むよ」

 彼らの世界にも病院はあるのである。生きている限りは尊重されるし、治療する機関はあることはあるのだ。ただ病院と言っても、我々のところの様に延命だけが目的でなくて、純粋に医学的な目的もあるので治療薬も研究中の薬を与えてみたりしている。それで亡くなっても「あーあ失敗しちゃったぁ」ですむ世界なのである。もちろん、しつこいようだが、彼らの中に不純な気持ちで治療をするものはいない。医学の進歩のため良かれと思ってのことなのだ。

「福山・・・」田中君が情けない声になってつぶやいた
「お!どうした保険証忘れたのか」
「やっぱ、次の駅まで持たんわ・・・」そういうと田中君はずるずるとその場に崩れていった・・・
「何だ、死んじゃったよ・・・やべぇなぁ俺がプレゼンすんのかよぉ、引継ぎだけでもしときゃよかったなぁ」福山は足元の田中君をじっと見つめていた。

電車が 渋谷に着いた。ドアが開いたので福山は田中君の体を足で車外に押し出した。
田中君の体はゆっくりと1回転して水路にポチャンと落ちた。

死んでしまった人を水路へ放り出しておく、ありきたりの光景である。ところが、いつもと大きく違っていたことがあった。水に落ちた衝撃で田中君は意識を取り戻してしまったのである。
「あれ、俺まだ死んでなかったんだ。変なの」
 普通は片腕を切られて一駅そのままだったら大抵死んでしまうのである。だから福山が田中君を用水路へ落としたのは彼らの行動としては特に間違ってなかったのだ。どうやら田中君の心臓は、普通の人より強かったようである。
「そうだ、今日は美佐子の誕生日だったんだ。」
「今日は私の誕生日だから早く帰って来てね。」笑って送り出してくれた美佐子のえくぼが脳裏に浮かんだ。
「お祝いのネッカチーフ渡せなかったなぁ」とだんだん意識が遠くなってきた。

瀕死の田中君の体は水路に横たわったまま、ゆっくりと処理場へと流れて行くのであった。




 作者・なら よつねさんの自己紹介とプロフィール

2006年12月04日

ジブラルタルの霧 2

 やっと来たバスの中で、野村は彼と並んで一番前の席に座った。フロントガラスから見えるジブラルダルの景色が気になった。しかし彼が野村の目を見て真剣な表情で話しかけてくる。こちらもまじめに話を聞かないわけにはいかない。良い英語の勉強にもなると思って、野村は彼の英語に集中して耳をかたむけた。
 彼の名前はデイビットと言った。彼の青みがかかったグレイの瞳は、飛行機から見た地中海のようだった。
 野村が1度「PLEASE SPEAK SLOWLY(もっとゆっくり喋ってください)」と言った後は、多少、ゆっくり話してくれたので、野村も話が見えて来た。デイビットが言っている事は、たぶんこんな内容だ。

 地球の地下にはシャンバラと言う地下帝国があり、そこには地上の世界が世紀末を迎えた時に、選ばれた人だけがいけるらしい。彼の推測では、地球環境は21世紀中に取り返しのつかない事になり、砂漠化と大洪水で多くの人が死ぬ。現在世界を支配している大金持ち達は、それを知っていて宇宙に逃げようとしている。だからアメリカは国をあげて火星を探索しているらしい。その為にイラクやアフガニスタンに戦争を仕掛け、武器を売ってお金を作っている。

 デイビットが一気に話し「Do you understand?」と確かめるように野村の顔をのぞいた。野村が申し訳なさそうな顔をして、親指と人差し指を少し離して「リトル」と答えると、デイビットは何度も何度も話を繰り返した。そのおかげで野村は大体のストーリーを自分の頭の中で構築できた。最初は、宇宙だとか火星だとか、なんか突拍子もない話に思えたが、何度もデイビットの同じ話を繰り返し聞くうちに、自分も選ばれるのかどうか、知りたくなっていた。

 彼は真面目な顔で「これは秘密だぞ、絶対、誰にも言うな」と前置きしてから話を続けた。野村はデイビットの真剣なまなざしから目をそらす事も出来ず、蛇ににらまれたカエルのように、ビクビクしながら頷き、音を立てて唾をのみ込んだ。
「世界はフリーメーソンという秘密結社によって動かされている。我々庶民は彼らの思うように動かされていて、彼らが起こす戦争というゲームにかり出される、ただの駒なんだ。
 我々はそんなことも気付かずに、お金の為に身を粉にして働いている。そうなると自然と忙しくなり、世の中の矛盾やフリーメーソンの存在などについて考える時間がない。結局、目先の欲しか考えられないでいるのさ。これじゃフリーメーソンの思うつぼだ」

デイビットの言葉には野村を納得させる節があった。彼が言うように日本人は忙しすぎだし、お金の為に働いていて本当に幸せなのか?と思う。
野村はその同意を示すように、「YES,YES」と声を出し、何度も大きく頷いた。デイビットはそんな野村を見て、嬉しそうに微笑んだ。

「僕らはもっと基本的な事を考える事が必要なんだ。どうやってお金を生み出すかばかりを考えるのではなく、世の中の仕組みや常識となっている当たり前の事を疑い、どうしてそうなのだろう?と考えなくてはならない。例えば、国という枠組み、考え方はいったい、いつ誰が決めたのだろう?とかね。でもそんなことはちょっとやそっとじゃ分からない。答えを出す為には時間が必要だろう。つまり暇を持て余すくらいの時間がないと、そういうことは考えられないのさ。だいたい現代の人々は忙しすぎるよ。これもフリーメーソンに巧く操られているに過ぎないんだな。それに現代人はテレビやマスコミに洗脳されてしまっている。そう思わないか?」

 そう聞かれても野村には話が見えてなかった。答えに詰まっていると、デイビットは、かまわず話を続けた。
「だいたいこれだけ地球上の人口が増えると、すべての人を救出するわけにはいかないんだ。自分で考え、世の中の不条理に対して何がしかの行動を起こした人だけが救われることになる。だから僕はシャンバラへの入り口を探しているんだ。宇宙に行けない我々は、シャンバラを探して生き延びるしかないじゃないか」デイビットは真剣なまなざしで訴えた。
 野村はデイビットが言う難しい話はよく分からなかったし、単語の意味も分からないものがたくさんあったが、聞いているうちに質問が湧いて来た。

「どうやってシャンバラに行くんだ?」
野村がそう訪ねると、「シャンバラへの入り口は地球上に8カ所ある。ジブラルダルの他には、カイラス山やトルコのカッパトギアがそうだ」と教えてくれた。
「お前もこれから行くCAVE(洞窟)を見たら、ここがシャンバラへの入り口だと分かるだろう」
デイビットはそう言った後、バスが大岩の麓につくまで、窓の外を見たまま、口を開かなかった。
 野村は窓の外で流れるジブラルタルの街の景色を見ながら、デイビットが話したシャンバラという世界に、次第に興味がわいて来ていた。岩山が見えはじめ近づいてくると、不思議と胸の高鳴りを感じた。

 野村はバスを降りて岩山を麓から見あげた。でかい。ヨーロッパ・ポイントから見た時と角度が違うのか、思っていたより斜面が緩やかだ。白っぽい山肌には縦に割れ目が入っているのが見える。土で出来た山というより、やはり1つの岩山だ。こんなでかい岩があるなんて、、、そう考えると、それだけで神秘的に思えてくる。あの白い表面は石灰岩なのだろうか。まるで苔のように背の低い樹がその白い岩肌の所々にはえている。
 そうやって見れば見るほど、こんな半島の先端に、それもヨーロッパの南端に、これ程、大きい岩があるなんて、不思議な感じがしてならなかった。よくよく考えてみれば、山だってあり得ない。自然にしては出来すぎてる。というか、デイビットのシャンバラ話を聞いた後だったせいもあるが、野村には人工物のような気もして来た。そう思うと背筋がシャキっと伸びて、なんかワクワクしてきた。

 流れていく霧の中にうっすらと見える頂上。白い建物がぼんやりと建っている。あそこまでどのくらいあるだろう?高さは500mくらいか?
 歩き出したデイビットを見て、野村は頂上まで歩いて登るのかと怖じ気づいた。道はあるのだろうか?もし道なき斜面を登って行ったら、2〜3時間はかかるだろう。

 だがデイビットの後を着いていくと、岩陰にケーブルカーがあった。16ポンド(3200円)も払いケーブルカーに乗りこむと、我々の後から何人もの人が乗って来た。皆、観光客らしい。家族連れだ。8人乗りのケーブルカーは、すぐ満員になって動き出した。
 登って行くケーブルカーから見る景色に、野村は目を奪われた。ダイナミックな風景がどんどん広がって行き、海も見えて来た。野村の気持ちもどんどん高まっていった。

 他の客は頂上まで行く様子だったが、野村とデイビットは山の中腹で降りた。デイビットについて緩やかなコンクリートの上り坂を歩いて行く。10分ほどで土産屋をかねたレストランがあった。その横には「CAVE」と書かれた矢印がある。どうやらここがシャンバラへの入口らしい。野村は早足で歩いたせいもあるのかドキドキしていた。デイビットは早足で先に行ってしまったが、野村は立ち止まって深呼吸をした。「シャンバラかぁ」
デイビットからあれだけ話を聞かされたせいか、どんな所なのだろうという好奇心と、神秘の名所を訪れることができるワクワク感。野村は唾を飲み込んでから、麓で買ったチケットを見せて中に入っていった。

洞窟の中は、ひんやりとした空気のせいか、武者震いのせいか、背中がゾクゾクッとした。中には照明が所々についているが、全体的に薄暗く、地中の水が漏れてくるのか足元は濡れていた。
オレンジ色の照明がどこか神秘的で、野村は口を開けたまま、周りを見回していた。
「いやぁ、でかいなぁ」野村は立ちつくしたまま、そうつぶやいた。



 作者・イエローさんのプロフィール
posted by 村松恒平 at 00:43| Comment(1) | TrackBack(0) | ジブラルタルの霧 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月14日

私の×造(チョメゾウ) 「妄執の穴ぼこ石」

玄関まで庭を横切る黒い敷石のひとつには、石鹸置き程度の窪みがあった。蒸し暑い8月の夕方、少年はその傍らにしゃがみ込んで、こぶし大の石を持ってコツコツと「穴ぼこ石」を打っていた。窪みには、潰された毛虫と虹色に光る体液が澱み、手にした石の先には、毛虫の棘や毛が付着していた。
少年は、額から滴る汗を気にも留めずに、跡形もなく毛虫を潰すとすぐ後ろの柿の木を物色して、毛虫の付いた葉をちぎり、器用に石の窪みに落としては、コツコツとやるのだった。

小学2年生の少年は、祖父母の家に泊まりに来ていた。祖父母の家は、少年の自宅から車で1時間弱、仕事で同じ方面に行くという父親のワゴンに便乗したのだった。「明日迎えに来ますんで」と言って、簡単な挨拶だけで、父親は忙しそうに立ち去った。
その日の夕食後、少年は祖父から、イラガの幼虫に刺された痕を見せられた。
少年の祖父は、その毛虫に刺され、あまりの痛さに脚立から落ちて入院した時のことを、こと細かに少年に語った。少年の目は、祖父の醜いチョメゾウから一時も離れることがなかった。

皮膚が弛んで皺の多い祖父の腕は、チョメゾウの部分だけ皮が張って、少年には、そこだけ別の生き物であるかのように思われた。やや赤く盛り上がった部分の頂点には、ケシ粒ほどの瘡蓋が載っていた。少年は、自身の爪でその瘡蓋を剥ぎ取り、そこから血ではない何ものかが、とろりと溢れるのを想像した。

「しまうよ」
祖父が袖を下ろそうとして、少年は慌てて祖父の顔を見た。「これっきりだぞ」という雰囲気を感じ、少年は思わず祖父にせがんだ。
「待って、触らせて」
祖父の返答を待たずに、少年の指は、祖父のチョメゾウに接していた。

祖父の大きなチョメゾウは、緩んだ皮膚のせいで、少年の指の動きに合わせて抵抗無く動いた。少年は、上下左右にチョメゾウを滑らせた。チョメゾウ自体の形は、微塵も変わることが無かった。
少年は、例の瘡蓋を剥ぎ取れば、皮下の本体が皮膚と分離し、チョメゾウがもっと自由に動くことが出来る気がした。そして、手の甲に移動したチョメゾウや、首まで登って鎖骨で一休みするチョメゾウを想像した。
少年の爪が、チョメゾウの瘡蓋にかかり、指の動きが止まった時、祖父が少年の手を掴んだ。
「痛いよ。治らんよう、ちっとも」

その晩少年は、何年ぶりかの寝小便をした。祖父のチョメゾウに興奮して眠れず、夜中に麦茶など飲んだからだ。

翌日少年は、朝の間だけ気を落としていたが、午後からは寝小便のこともチョメゾウのことも、すっかり忘れてしまったように快活さを取り戻していた。
午前は、祖母と買い物に出かけ、暑い盛りには昼寝をし、午後は祖父にくっついて、庭の手入れや池の掃除など手伝った。少年にとっては、すべて遊びだったし、何をやっても面白かった。

陽が傾きかけた頃、仕事着の父親が迎えに来た。
少し疲れて横になっていた少年は、まだ帰りたくないと思う反面、父親の登場で大いにはしゃいだ。
「見て!おじいちゃんのチョメゾウ!」
無礼にも少年は、祖父の袖を勝手にまくって、父親の方へ祖父のチョメゾウを向けた。
「おい、やめろ!」父親は少年を睨み付けた。
少年は、祖父の容認に勢いづいて、なおも父親に同意を求め続けた。「触ったんだよ、すごいでしょ!」
「おい!干してある布団の小便は誰がやった!」
少年の無礼を嗜めるには、あまりにも強烈な大型爆弾であった。
「いくつだ、何年生だ、何で今頃やらかした?え。」少年は、何を聞かれても答えようが無かった。
「ああ、水を遣る時間だ。頼んでいいかな」
身動き出来ずにいた少年は、祖父の助け舟によって、苛立つ父親の詰問を逃れることが出来た。

少年は、昼の熱気を残す庭先に出て、好き勝手に水撒き用ホースを振り回したが、少しも楽しめなかった。
…なんで布団、隠してくれなかったんだ…なんであんなに怒るんだ…なんで今日帰るんだ…なんでチョメゾウの…

少年が顔を上げると、祖父がイラガの幼虫に刺された柿の木があった。少年は、割と近い、手の届く葉の裏に、紫の刺青を背負った、毒々しい毛虫が動くのを発見した。
…おまえのせいだ。

そう思った途端、少年は足元の「穴ぼこ石」の窪みに溜まった土を蹴りだして、イラガの幼虫を柿の葉ごと引きちぎり、そこに振り落とした。
少年は、こぶし大の石を持ってきて、傍らにしゃがんで、幼虫に載せた。
あえなく潰れた幼虫から膿のような液体が飛び出て、少年は、祖父のチョメゾウの中身を想像した。さらに少年は、毛虫らしさの残る部分に、悉く石を打ちつけ、「穴ぼこ石」の窪みの残滓に唾を落した。
なおも湧出する唾液を飲んで少年は、父親のことや寝小便のことなどすっかり忘れ、満面嬉々として、次なる獲物を探すのであった。



作者・chitokuさんの自己紹介とプロフィール
posted by 村松恒平 at 02:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の×造(チョメゾウ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月09日

彼の岸異聞 (6.雑草)

「あいたた」
左肩の痛みに幸太は体をひねった。さっき腰掛を粉々にした大男が背後から幸太の左肩をつかみ右腕を幸太の首に回して喉を抑えていた。王の兄さんが大男をなだめるように何か言った。大男は土間につばを吐いてしぶしぶと腕を緩めたが、幸太を放しはしなかった。

「私は頌世。弟、頌張が大切なもの持って逃げた。私たちは取り返す。」
「兄さんへの土産じゃと言うとったぞ」
「わたし、兄さん。吉林は兄さんいない」
幸太は王の兄さんだという頌世を見つめた。落ち着いて見ると王さんとこの頌世は良く似ている。けれど一見似ていると分からないくらい雰囲気が違う。目に輝きがあって賢そうなのは二人とも同じだが、王さんの目には小ずるい光があり多弁で落ち着きがなかった。幸太は頌世の視線をとらえ目を探った。頌世は何も言わずに目で話すようなところがある。

今も黙ったまま不思議そうに幸太を見つめ返すだけだ。何を不思議がっているのだろう。満人の婆さんなんかにあっさり金を払ってやる割には幸太が貧乏な身なりをしているのが不思議なのかもしれない。それとも満人街に住む酔狂な日本人にあきれているのか。まさか日本人が珍しいわけでもなかろう。幸太は思わず首をかしげた。頌世は少し笑ったように見えた。が、その笑みは一瞬で消えた。両側に貸間が並ぶ通路の入り口辺りでののしり声だ。いつも通路で寝ている酔っ払いの爺さんを誰かが踏んづけたようだ。ここの住人なら爺さんのことは皆知っている。よそ者だ。低い声で頌世は大男に何事かささやいた。

二人の満人は幸太をひっぱったまま、並んだ貸間の一番端にある八卦見の親父の屋台を踏み台にして裏手の商家の塀に上り、屋根に上って息を潜めた。貸間は低い平屋で上るのはわけない。しらみのわいたアンペラは屋根に干すといい、日当たりが良いのは屋根だけだから。王さんに教えてもらって幸太も上ったことがある。

ドタドタと足音がして、誰かが王さんの部屋の戸を蹴破った。振動が安普請の屋根まで伝わった。幸太は大男に口を塞がれた。しばらく乱暴に物をひっくり返したり転がすような音がしたが、じきに物や壁を叩く苛立たしげな音に変わった。荒っぽい声がして、すぐさま隣の部屋の戸が破られた。幸太の部屋だ。幸太は屋根から下をのぞきこもうとして、口を塞いでいた大男に首を絞められかけた。それでも数人の男が出てきて口々に何か言いあっているのが見える。一人がかざした右手の物がキラリと光った。幸太の背中に冷たい汗がにじんだ。あれはずいぶん手入れの良い刃物だ。

「命、惜しいなら一緒に来る。ここ残れば…」
しばらく経ってから身を起こした頌世は自分の白い細首に当てたひとさし指を真横に引いて見せた。脅しではない。王さんは何かまずいことに首を突っ込んで、自分も王さんの仲間だと思われているようだ。さっきの男たちは、誤解だと話して通じる相手には見えなかった。しかも、知り合いのない新京では幸太が相談できる人はいない。
「王さんが持って逃げたのは何だ?」
頌世は口を開きかけたが考え直したように口をつぐんだ。幸太を見つめる目だけは何か言いたげだった。幸太は途方にくれた。


「勝手に車出して…、こんなことしちゃもう大連に帰れん。」
吉林に向かってアクセルを踏みながら幸太はつぶやいた。夜逃げ同然に新京の貸間を捨て、この期に及んで気づいたが、自分は日本人だ。この大男を振り切って警察に駆け込めばなんとかなったかもしれない。いざとなれば内地に帰ればいい。あの物騒なやつらもまさか日本まで追っては来まい。うかうか頌世の言うことを聞いて王さん探しに行くなんてバカげている。幸太は唇をかんだ。
「帰りたいか?」
大男と幸太の間に座っていた頌世が幸太を見上げた。関東軍でも憲兵でもいい、深夜の道を飛ばすトラックを見咎めて停めてくれないだろうか、そしてこいつらを突き出しおれは内地へ帰る…、そんなことを考えていた幸太は返事に詰まった。
「なぜここ、来たか?」
頌世は重ねて聞いてきた。
「ここの人にならない。ここの土にならない。すぐ帰る」
頌世の表情と声は穏やかだった。けれど生真面目に幸太を見つめる目は真剣に答えを待っていた。幸太は前方を見るふりをして視線を逸らした。へッドライトは小さく丸く地面を切り取った。
「なぜここ、来たか?」

幸太は貧乏百姓の三男坊だ。大人になったら家を出る。けれど分与される田畑はなく、近くに仕事口もない。なら兵隊になるのか。いや、兵隊はいやだ。すると益々居所がない。自分は満州に仕事と将来を求めたと同時に、居所のない故郷、みじめな境遇から逃げだしてきた。そうだ、これを認めたら自分があんまり惨めな気がして目を逸らしていた。おれは生まれ育った故郷が好きでこんなに懐かしく思い出すのに故郷のほうは頑なにおれを拒否するのだ。

それなのにまたここで内地へ逃げ帰ろうというのか?居所も仕事も将来もない、あの暮らしに戻るのか。

道が土から舗装に変わった。
「もうすぐ吉林じゃ。」
幸太はつぶやいた。とうとう関東軍も憲兵も出てこなかった。それが啓示のように思えた。
「わしは帰らんよ。ここ以外にもう行く所はない。」
遠くに浮かぶ小さな明かりは吉林の市街だ。懐かしい故郷、大連、新京にはもう帰らない。進むだけだ。

雑草を抜いて違う場所へ捨てても露や雨にぬれたらそこの土にまた根づく。幸太は子供の頃によく手伝わされた段々畑の草取りを思い出した。あの雑草はおれだ。おれにはこの丈夫な体と知恵がある。運があればどこへ行ってもなんとか根を張るだろう。



 作者・はなさんの自己紹介とプロフィール
posted by 村松恒平 at 00:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 彼の岸異聞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。