2007年04月11日

浮世絵と少年(1)

 中部国際空港の近く、海岸に沿って南国風のエキゾチックな建物があった。看板は「医療法人愛仁会 千鳥ホーム」とあり、老人ホームであった。
その屋上で、理事長の華子が海を眺めて佇んでいた。華子は精神神経科の専門医だが実際の診療はタッチしていない。

 千鳥ホーム内に診療所はなく、応急の時は母校の後輩が嘱託医として対処していた。夫の誠も徳川時代から御典医の家系で、親から引き継いだ医院を開業している。しかし華子とは別居の状態だった。夫は老人ホームの経営に興味がなく、千鳥ホームの運営は名実ともに華子に任せていた。若い美人の理事長華子は人気を呼び、今や入居希望者は順番待ちという盛況ぶりで、他の老人ホームの経営者達から羨やましがられる存在となっていた。

 華子は海を見て、いつものように新聞相談室の回答の想を練っていたのだ。東海地方のT新聞社の毎週土曜日の読者相談では、華子の愛と性に関する相談は、ずばりと回答して「小気味良い」と言われていたのだ。
 華子は携帯電話が鳴ったので見る。それは友人の百合子からの予期せぬ電話で、それも今、玄関に来ているという。
 百合子は高校時代からの友人で、名古屋在住の劇団の女優である。かつては大変な人気女優だった。今、劇団の幹部をしている。

 それにしても約束もなしに訪れるとは珍しい。何かあると思った華子は急いで玄関に行く。玄関には一台の洒落た白い車が止まっていて、大きな黒い帽子をかぶった百合子が立っていた。百合子らしい奇抜な帽子だ。
 百合子は華子を見て、いつもの甘えたような声で話しかける。
 「華子、突然で悪いわ。朝からこの近くのデザイナーの別荘で打ち合わせがあって、今終わって帰り道なの。ここまで来たら顔を見せなきゃ悪いものね」
 と言う。相変わらずの調子の良さに華子は
 「ちょうど居て、良かったわ」
 と、苦笑しながら百合子の顔を見た。
 百合子は華子と同じ年だから43歳になる。しかし、ふたりとも30台後半と見られていた。ところが今日の百合子はなんとなく冴えない。華子は何か心配事があるのではないかと思い、人が集まるロビーではなく、自分の部屋、つまり理事長室に百合子を案内した。

 百合子は、饒舌で有名である。今日も部屋に入るなり、椅子に座る間も惜しんで立ち話となる。暫く会わなかった為か、次々と話題が出て賑やかなやりとりとなった。
 秘書がコーヒーを運んできて二人はソファーに座った。コーヒーを一口すすった華子が、百合子に何気なく聞いた。
 「ところで、リュウはどうしている?」
 その言葉に、百合子は顔を曇らせた。
 「華子、聞いてくれる。私、リュウのことで相談があるの」
 華子は、百合子の訪問の目的がやっと分ってきた。しかしさりげなく、改めて年を聞く。
 「彼は今年、確か17歳だったわね」
 「そう17歳なの。それがね、急に高校へいかなくなったのよ」

 リュウは百合子が産んだ子である。しかし独身女優という看板の手前、人には言えない事情のため、自分の子として公表できなかった。
 そのため実の兄である元宮泰一の子供として育てられていた。元宮泰一は住宅会社の営業社員だったが、入籍の相談には快く応じてくれた。それは養育費の代わりとして百合子が老後のために建てた、女子学生専用アパートの管理人の仕事を与えられたからである。
 しかし、収入が増えて仕事も前に比べ、はるかに楽になると、泰一の心の中には次第に怠け心がはびこっていった。いつしか朝から酒を飲むようになり、時々管理室で泥酔する始末となる。
 泰一の妻は、酒浸りの夫の姿に愛想をつかし去って行った。それからリュウと二人暮らしを続けた泰一も、昨年、肝臓がンで死亡した。この泰一のいきさつについては、おおよそ華子は聞いていた。
 リュウは、泰一が亡くなって一人で生活していた。アパートの管理の仕事は業者にまかせることにした。
 百合子は時々リュウの部屋を訪れ、叔母ということで甥の独身生活を見守っていたが、葬儀から半年ぐらい経った頃から、リュウは百合子を避けるようになった。 百合子が話かけても返事をしなくなり、なんとなくよそよそしい態度となる。
 そんな時、トイレが詰まり修理を依頼した際、その業者が詰まった物を見て驚いた。



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2007年05月27日

浮世絵と少年(2)

 便器のパイプの奥から極彩色の紙のかたまりが出てきた。修理業者がひとつひとつ拡げていくと、それは14枚あった。そのすべてが和紙に画かれた浮世絵春画だった。
 「見て下さい。これがパイプ詰まりの原因ですよ。いまどき珍しいですね」
 業者は何が起きているのかわかっていた。丹念に眺め、つぶやいた。
 「こんな立派な絵を見ながらオナニーしたら最高だよなぁ」
 百合子が春画を見ていると、なぜか春画の画面に恋人の顔が現れた。恋人は春画が好きで四十八手という手の込んだ性のテクニックがとても上手だった。今、ニューヨークで舞台芸術の修業をしている。懐かしんでいると、ふと恋人とリュウの顔が重なって見えた。二人は自分好みのタイプだと気づく。百合子は思わず笑ってしまった。

 百合子は理事長室でリュウの浮世絵のいきさつを話した。華子はそれを聞いてふっふっと含み笑いをした。
 笑った理由は百合子とは正反対だった。それは男性と浮世絵との深い因縁を知っているからこその微苦笑だった。
 華子は17年前。新婚旅行でシンガポールへ行った夜、夫の誠が華子を抱かなかった苦い経験がある。
 2日目の夜もバスルームに入ったまま夫がなかなか出てこない。不審に思った華子が見に行くと、中で浮世絵の春画を前にして、オナニーに必死になっている姿を見てしまった。
 夫は汗にまみれ、疲労困憊の様子で、華子を見て吃驚して言い訳を言った。
 「君のために何とかしようと頑張っているのだがね、なかなかうまくいかんのだよ」
 華子はこの時知ったことだが、夫は浮世絵春画のマニアだったのだ。医学生の頃、患者の回復力を高める方法として浮世絵を研究したとき、逆に虜になってしまったのだ。初夜に失敗し、2日目は今度こそと、春画の助けを借りようとしたのだった。往々、麻酔科の先生が麻薬中毒になると同じように、夫も職業上の罠に陥った男のひとりであったのだ。
 
 苦笑いをやめ、気を取りなおした華子は、医者の立場を取り戻し、ノートを取り出して予診を始めた。
 「男と浮世絵はよくある話よ、それよりもリュウは父親の死に際してどんな様子だったの」
 百合子は答えた。
 「あれだけ可愛がってくれた父親ですもの。ただでさえショックなのに、兄の最後が畳の上じゃなかったこともあって、リュウは相当こたえたと思うわ、ところが本人は意外に落ち着いていたの」
 百合子はその時のことを思い浮かべた。
 警察からの電話があったのは1月10日の未明であった。兄が中川運河に浮かんでいたという。引き揚げたが残念ながら溺死を確認した、検視が済んだ為すぐ名古屋港警察署へ来てほしいというものであった。
 百合子が駆けつけると死体安置所の中でひとり、兄の死骸に取りすがったリュウがいた。現れた百合子に気がつかない。気がついたのは百合子が遺体に触るなり、 「なんて冷たいの」と思わず大声を上げたときだった。リュウが近づいてきて声をかけた。
 「父はこの正月、肝臓がんで酒が飲めない筈なのに、無理をして大量の酒を飲んでいました。父は覚悟していたと思います」
 リュウは落ち着いて話しかけのだ。百合子の悲しみを和らげるかのように。百合子はリュウこそ一番悲しい筈、まして入試の勉強の大変な時なのにと、自分より相手を気遣うリュウの優しさに心を打たれ、一段と涙が湧いてきたことを覚えている。
 華子はそれを聞いて、
 「そうなの、落ち着いて優しいリュウだったのね」
 と予診ノートに記入し、書きながら訊ねてゆく。
 「その他、リュウの行動で気づいたことはない」
 百合子は親族会議の時、優しいリュウが意外にも抵抗したことを思い出した。
 百合子は親族会議のいきさつを語った。
 大垣の親戚がリュウを引き取ることを申し出た時、リュウは返事をしなかった。 見ると顔面が蒼白になっていた。百合子は見るに見かねて、友達との別れが辛いようだから、しばらく転校を見合わせましょうと、その場を取り繕った。百合子は後日、掃除の小母さんにリュウの状況を聞いて見た。葬儀のあと、リュウは学校へはきちんと通っているらしい。しかし掃除の小母さんの勘では、リュウは学校に好きな女生徒がいるらしい。
 華子はそれを聞いて不審に思った。
「好きな女生徒がいるのに、どうして不登校になったのかしら」




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posted by 村松恒平 at 02:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 浮世絵と少年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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