ご存知の様に美佐子さんは新婚六ヶ月だ。新妻だ。その日は、朝から誕生日の料理を作っていた。白いエプロンにミニスカートが良く似合っていて、すらりと伸びた足がとてもまぶしい。
メイン料理は鶏の丸焼きだ。チャングムがテレビで作っていたもので、鳥のお腹に朝鮮人参やしいたけ、銀杏、香辛料といったものを詰め込んで、竈の土でまわりを固めて焼くと言う手の込んだ料理なのだ。レンガの様に固くなった周りをコンコンと軽く叩いて割ると、中から香ばしい匂いと共にうまみエキスたっぷりの鶏が現れるのだ。見た目も驚かすし、またその味が格別なのである。美佐子さんは特にこれを得意にしていて、世界中でチャングムの次に上手いと自負している料理だった。
15:00のことである。美佐子さんの中に何かが走った。料理の手を止めて周りを見まわしたが特に何もなかった。電磁調理器の上では白い鍋の中でシチューがぐつぐつと煮えていた。でも、確かに何かを感じたのである。ちくりと心を挿されたようなその感覚は昔味わったものでもあった。心に穿たれた小さな穴がだんだん広がってゆく感じ・・・ 何だったかしら、キッチンの窓から外を見た。白い雲が西に流れてゆく。。
そうだ、おばあちゃんが死んだ時がこうだった・・・「お母さん、おばあちゃんどうかしたの?」「そう、おばあちゃんね、足を滑らせて用水路にはまってそのまま流れちゃったの。何で知ってるの?美佐子は鋭いんだから」。ほんのさっきまで、暖かく抱いてくれていたおばあちゃんが、今は用水路をユラユラと流れている。流しに吸い込まれていく水の音がジャボジャボと妙に寂しく聞こえていた。
そうか・・・「あの人死んじゃったのね・・・」あの時と一緒。もう誰も私を抱いてくれないんだ。「一郎さん」 声にだして呼んでみるけど、誰も答えてくれない。
美佐子さんは、竈の土で固めた鳥の固まりを二つに割るとラップに包んで冷蔵庫にしまった。
「一人になったんだから、こんなに沢山いらないんだわ。」
紅茶をカップに注ぐと、テーブルに座った。目の前に主のいない肘掛椅子が見えた、「ここには、もう誰も座らないのね・・・今日は誕生日だけど一人でご飯食べなくっちゃ。あ!ネッカチーフも、もう、もらえないんだ。」
紅茶のカップの縁を指でなぞる。なぞる。指がこすれてうっすらと血がにじんでいる。何かが一粒ほほを伝わっておちた。
「あれ?何で涙が出ているのかしら」美佐子さんは不思議そうにほほをぬぐった。そうなのです、彼らは人が死んだからと言って泣く人たちじゃなかったはずなんです・・・
もしかして、死んでないの?もしかして・・もう一度何かが全身を駆け巡った。
4
「あの人は死んでないんだわ!」美佐子さんは、腰まで汚水に浸かりながら処理場の中を走り回っていた。
処理場とは市外を縦横に流れている水路が集まっている所で、流れ着いたものを文字通り処理する場所なのだ。一般のゴミや汚物なども流れて来るがやはり多いのは死体だ。まるままの人間、ジグソーパズルのピースのような肉片など形状は様々だがゆっくりと集まってきている。水路に投げ込まれた全てのものがここに集められ、腐ったり悪臭を放つ前に処理されているのである。
処理場で、ある特殊な方法で製造された精製水は 扶養水と言う名前で上水道に混ぜられ、固形物は肥料として使用されている。彼らが死と言うものを「お茶漬け」の様にあっさりと受け入れているのは、彼らが毎日扶養水という死体を処理した水を飲んで、体の中に”死”が溶け込んでしまっているからじゃないかと言う人もいる。
それにしても、ざぶざぶと腰まで汚水に使って肉片を押しのけては、洋一さんを探している美佐子さんの様子は彼らの常識から言えば尋常ではなかった。どうしたんだ美佐子さん?!
「洋一さん、洋一さん」と叫びながら、肉片や汚物を取り除いていくと、その奥の方にまさにミキサーに挟まれようとしている、かすかに動いている物体を見つけた、もちろんそれは田中君だった。
美佐子さんの働きで、田中君は九死に一生を得た。彼らは自分たちが死に対して無頓着なのを知っていただけに、美佐子さんのこの執着は大変な評判となり、「時間的に有限でない愛が生まれたのか」「無限の思いの存在証明」と大騒ぎになった。
もっとも、田中君は生きていたのだから「死んだものには無頓着でも、生きたものには執着する心は誰でも持っており、その大きさが特に大きかっただけなのだ」と言う興ざめな有識者の意見も多く聞かれた。
復帰した田中君は相変わらずギリギリに出勤して電車に飛び乗ることはしょっちゅうだ。ただ最近は五回に一回は次の電車を待っているようになっているらしい。
ところで、病院のベットで意識が戻った田中君への美佐子さんの最初の言葉が「私のネッカチーフはどこ?」だったと言うことはさほど知られてはいない。
おしまい
■■■ 作者から一言 ■■■
私は今猛烈に感動しています。私は初めて今までの長い文章との戦いの日々において初めて「純愛」を描ききることができたのです。
今私は猛烈に興奮しています。血圧計は振り切り、アドレナリンはドクドクと沸きあがり、血糖値は汗まで甘くなるほどあがっています。
純愛を真正面から描いた作品がどれだけ皆様の胸を打つことができるかとても楽しみです。
こうやって作品をもう一度読み返すと、つくづく自分は変態だなと言う思いも強くしてしまいます。純愛にして変態、新しい愛の形。
■■■ プロフィール ■■■
連休中は二日間ずっと洗濯をしていました。10年ぶりくらいに洗濯物を外に干してみました。夕方取り込んで匂いをかぐと、お日様のぽかぽかした匂いがしました。人間らしい生活をしていた頃のことを思い出しました。もしかすると 布団も外に乾すと同じような良い香りがするのだろうか?そんな昔の記憶は忘れてしまっているので思い出せませんでした。
洗濯をしながらおせんべいを食べていたので布団はざらざらしていましたが、その日はそのまま寝ました。
2007年05月11日
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