しばらくうとうとしてから(今考えると)うかつにも目を一寸明けて周りの様子を見てしまいました。すると妊婦のゆりこさん(仮称)がふらふらこっちの方に歩いて来るのが見えました。空いている席を求めて車両を端から端まで歩き回って身も心もくたびれて戻ってきた様です。ゆりこさんはご主人の雄一さん(仮称)のところに行って うるうるした目を投げかけながら「あーん すわれなかったのぉぉ」など 甘えた声で報告をしているようです。幸運だったのは、私は優先席右端に座っていたので左側の二人とは一寸離れていたことでした。
この雄一さんゆりこさん夫婦はいつも私と同じ電車に乗っているのですが、共稼ぎなのでしょう、仲良く座って、(いつまで続くか見物ですけど)手を握って新宿まで通勤しています。職場結婚だと思うのですが、恋愛中は職場の目を気にして,あまりいちゃいちゃできずに、せいぜい同じエレベータで二人っきりになったときにこっそりキスしたくらいです。(それを二人はシンドラーエレベータに乗るよりドキドキするねと笑うのですからいい気なものです)そのため結婚したら思いっきりいちゃいちゃしています。ゆりこさんは妊娠8ヶ月くらいでしょうか。
以前は、私と同じように10分前から並んで確実に座っていたのですが、どうも最近、雄一さんとゆりこさんは朝が遅くなって発車ギリギリになってようやくホームに現れます。
きっと、焼きたてのトーストを前に、ゆりこさんの大きくなったおなかに雄一さんが手をあてて 「動いてぅ パパデチゥー パパデチゥーヨー ワカルカニャー」などと 電車の中ではできない、あんなことこんなことをして遅れているに違いありません。
「パパ 私のお腹大きくなって嫌いになったぁ。」 女は決まった答えしか言えない問いを発するそうです。
「ウーンバカだなぁ、そんなこと無いよ。」
男は心にも無いことを言える動物だそうです。
「あのね、私妊娠していい事があったのよ。」
「なんでシュかぁ。」
「子供の頃からおへそに詰まっていた脱脂綿が全部きれいに取れちゃったの。」
開いた口がふさがりません。こんなことを話していて、家を出るのが遅れて座れないのですよ!
ですから余計なお世話と思っても「おなかの子供のことを考えたらそんなことしている時間ないでしょ。」と、お姑さんみたいに言いたくなります。
二人は恨めしそうに我々を見ています。ゆりこさんは少し肩で息をしながら雄一さんに寄りかかっています。顔がだんだん青ざめてきています。このままでは出産は必至です。
ガタンとゆれた瞬間に、アーィーと言う甲高い悲鳴と共にゆりこさんはしゃがみこんでしまいます。その足元からは血なんだかなんだか判らないものがドゥドゥ渦を巻きながらあふれ出ています。それはあっという間に車中に溢れ、あろうことか私までも巻き込んで鳴門の渦のようにぐるぐる引き込んでゆきます。
助けてと叫ぼうとしても血が口の中に流れて苦しいのなんのって!生まれたばかりの赤ちゃんが、ぷかぷか浮かんで私の頭をポコポコ叩いては笑っています。小さな手が私の頭をぐいぐい押さえつけます。もうだめだ死んじゃう!と思ったところで目が覚めました。S宿駅に着いたようです。知らないうちにすっかり寝てしまったようです。
と言うわけで、寝てしまったので残念ながらゆりこさんに席を譲ってあげる事はできませんでした。これに懲りたら、明日からは早く並ぶことでしょう。
■■■ 作者から一言 ■■■
電車の中で、朝の腐った脳みそがどろどろと蠢き、一緒に乗っている人を見ながら膨らんでいく妄想を書きたいと思っています。できれば宇宙まで妄想の棹を伸ばしてゆきたいと思っています。
■■■ プロフィール ■■■
村松さんとは、インターネット上の早すぎた雑誌「メーリングポンプ」で出会いました。それからの長いお付き合いでいろいろご教授を頂いています。(長い付き合いでこれくらいか!といわれるのはつらいのですが)
いろいろ書いていても、自分の殻を守って自分を表現できてないなぁと反省することが多いのですが、少しずつでも自分を表現してゆきたいと思っています。
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