2007年05月11日

妄想だけは電車の中ですくすく育つ 駆込み乗車 その3

 ご存知の様に美佐子さんは新婚六ヶ月だ。新妻だ。その日は、朝から誕生日の料理を作っていた。白いエプロンにミニスカートが良く似合っていて、すらりと伸びた足がとてもまぶしい。
 メイン料理は鶏の丸焼きだ。チャングムがテレビで作っていたもので、鳥のお腹に朝鮮人参やしいたけ、銀杏、香辛料といったものを詰め込んで、竈の土でまわりを固めて焼くと言う手の込んだ料理なのだ。レンガの様に固くなった周りをコンコンと軽く叩いて割ると、中から香ばしい匂いと共にうまみエキスたっぷりの鶏が現れるのだ。見た目も驚かすし、またその味が格別なのである。美佐子さんは特にこれを得意にしていて、世界中でチャングムの次に上手いと自負している料理だった。

 15:00のことである。美佐子さんの中に何かが走った。料理の手を止めて周りを見まわしたが特に何もなかった。電磁調理器の上では白い鍋の中でシチューがぐつぐつと煮えていた。でも、確かに何かを感じたのである。ちくりと心を挿されたようなその感覚は昔味わったものでもあった。心に穿たれた小さな穴がだんだん広がってゆく感じ・・・ 何だったかしら、キッチンの窓から外を見た。白い雲が西に流れてゆく。。
 そうだ、おばあちゃんが死んだ時がこうだった・・・「お母さん、おばあちゃんどうかしたの?」「そう、おばあちゃんね、足を滑らせて用水路にはまってそのまま流れちゃったの。何で知ってるの?美佐子は鋭いんだから」。ほんのさっきまで、暖かく抱いてくれていたおばあちゃんが、今は用水路をユラユラと流れている。流しに吸い込まれていく水の音がジャボジャボと妙に寂しく聞こえていた。
そうか・・・「あの人死んじゃったのね・・・」あの時と一緒。もう誰も私を抱いてくれないんだ。「一郎さん」 声にだして呼んでみるけど、誰も答えてくれない。
 美佐子さんは、竈の土で固めた鳥の固まりを二つに割るとラップに包んで冷蔵庫にしまった。
「一人になったんだから、こんなに沢山いらないんだわ。」
紅茶をカップに注ぐと、テーブルに座った。目の前に主のいない肘掛椅子が見えた、「ここには、もう誰も座らないのね・・・今日は誕生日だけど一人でご飯食べなくっちゃ。あ!ネッカチーフも、もう、もらえないんだ。」

紅茶のカップの縁を指でなぞる。なぞる。指がこすれてうっすらと血がにじんでいる。何かが一粒ほほを伝わっておちた。
「あれ?何で涙が出ているのかしら」美佐子さんは不思議そうにほほをぬぐった。そうなのです、彼らは人が死んだからと言って泣く人たちじゃなかったはずなんです・・・
もしかして、死んでないの?もしかして・・もう一度何かが全身を駆け巡った。
           4
 「あの人は死んでないんだわ!」美佐子さんは、腰まで汚水に浸かりながら処理場の中を走り回っていた。
 処理場とは市外を縦横に流れている水路が集まっている所で、流れ着いたものを文字通り処理する場所なのだ。一般のゴミや汚物なども流れて来るがやはり多いのは死体だ。まるままの人間、ジグソーパズルのピースのような肉片など形状は様々だがゆっくりと集まってきている。水路に投げ込まれた全てのものがここに集められ、腐ったり悪臭を放つ前に処理されているのである。

 処理場で、ある特殊な方法で製造された精製水は 扶養水と言う名前で上水道に混ぜられ、固形物は肥料として使用されている。彼らが死と言うものを「お茶漬け」の様にあっさりと受け入れているのは、彼らが毎日扶養水という死体を処理した水を飲んで、体の中に”死”が溶け込んでしまっているからじゃないかと言う人もいる。

 それにしても、ざぶざぶと腰まで汚水に使って肉片を押しのけては、洋一さんを探している美佐子さんの様子は彼らの常識から言えば尋常ではなかった。どうしたんだ美佐子さん?!
 「洋一さん、洋一さん」と叫びながら、肉片や汚物を取り除いていくと、その奥の方にまさにミキサーに挟まれようとしている、かすかに動いている物体を見つけた、もちろんそれは田中君だった。

 美佐子さんの働きで、田中君は九死に一生を得た。彼らは自分たちが死に対して無頓着なのを知っていただけに、美佐子さんのこの執着は大変な評判となり、「時間的に有限でない愛が生まれたのか」「無限の思いの存在証明」と大騒ぎになった。
 もっとも、田中君は生きていたのだから「死んだものには無頓着でも、生きたものには執着する心は誰でも持っており、その大きさが特に大きかっただけなのだ」と言う興ざめな有識者の意見も多く聞かれた。
 復帰した田中君は相変わらずギリギリに出勤して電車に飛び乗ることはしょっちゅうだ。ただ最近は五回に一回は次の電車を待っているようになっているらしい。

 ところで、病院のベットで意識が戻った田中君への美佐子さんの最初の言葉が「私のネッカチーフはどこ?」だったと言うことはさほど知られてはいない。

おしまい



 作者・なら よつねさんの自己紹介とプロフィール

2007年05月27日

浮世絵と少年(2)

 便器のパイプの奥から極彩色の紙のかたまりが出てきた。修理業者がひとつひとつ拡げていくと、それは14枚あった。そのすべてが和紙に画かれた浮世絵春画だった。
 「見て下さい。これがパイプ詰まりの原因ですよ。いまどき珍しいですね」
 業者は何が起きているのかわかっていた。丹念に眺め、つぶやいた。
 「こんな立派な絵を見ながらオナニーしたら最高だよなぁ」
 百合子が春画を見ていると、なぜか春画の画面に恋人の顔が現れた。恋人は春画が好きで四十八手という手の込んだ性のテクニックがとても上手だった。今、ニューヨークで舞台芸術の修業をしている。懐かしんでいると、ふと恋人とリュウの顔が重なって見えた。二人は自分好みのタイプだと気づく。百合子は思わず笑ってしまった。

 百合子は理事長室でリュウの浮世絵のいきさつを話した。華子はそれを聞いてふっふっと含み笑いをした。
 笑った理由は百合子とは正反対だった。それは男性と浮世絵との深い因縁を知っているからこその微苦笑だった。
 華子は17年前。新婚旅行でシンガポールへ行った夜、夫の誠が華子を抱かなかった苦い経験がある。
 2日目の夜もバスルームに入ったまま夫がなかなか出てこない。不審に思った華子が見に行くと、中で浮世絵の春画を前にして、オナニーに必死になっている姿を見てしまった。
 夫は汗にまみれ、疲労困憊の様子で、華子を見て吃驚して言い訳を言った。
 「君のために何とかしようと頑張っているのだがね、なかなかうまくいかんのだよ」
 華子はこの時知ったことだが、夫は浮世絵春画のマニアだったのだ。医学生の頃、患者の回復力を高める方法として浮世絵を研究したとき、逆に虜になってしまったのだ。初夜に失敗し、2日目は今度こそと、春画の助けを借りようとしたのだった。往々、麻酔科の先生が麻薬中毒になると同じように、夫も職業上の罠に陥った男のひとりであったのだ。
 
 苦笑いをやめ、気を取りなおした華子は、医者の立場を取り戻し、ノートを取り出して予診を始めた。
 「男と浮世絵はよくある話よ、それよりもリュウは父親の死に際してどんな様子だったの」
 百合子は答えた。
 「あれだけ可愛がってくれた父親ですもの。ただでさえショックなのに、兄の最後が畳の上じゃなかったこともあって、リュウは相当こたえたと思うわ、ところが本人は意外に落ち着いていたの」
 百合子はその時のことを思い浮かべた。
 警察からの電話があったのは1月10日の未明であった。兄が中川運河に浮かんでいたという。引き揚げたが残念ながら溺死を確認した、検視が済んだ為すぐ名古屋港警察署へ来てほしいというものであった。
 百合子が駆けつけると死体安置所の中でひとり、兄の死骸に取りすがったリュウがいた。現れた百合子に気がつかない。気がついたのは百合子が遺体に触るなり、 「なんて冷たいの」と思わず大声を上げたときだった。リュウが近づいてきて声をかけた。
 「父はこの正月、肝臓がんで酒が飲めない筈なのに、無理をして大量の酒を飲んでいました。父は覚悟していたと思います」
 リュウは落ち着いて話しかけのだ。百合子の悲しみを和らげるかのように。百合子はリュウこそ一番悲しい筈、まして入試の勉強の大変な時なのにと、自分より相手を気遣うリュウの優しさに心を打たれ、一段と涙が湧いてきたことを覚えている。
 華子はそれを聞いて、
 「そうなの、落ち着いて優しいリュウだったのね」
 と予診ノートに記入し、書きながら訊ねてゆく。
 「その他、リュウの行動で気づいたことはない」
 百合子は親族会議の時、優しいリュウが意外にも抵抗したことを思い出した。
 百合子は親族会議のいきさつを語った。
 大垣の親戚がリュウを引き取ることを申し出た時、リュウは返事をしなかった。 見ると顔面が蒼白になっていた。百合子は見るに見かねて、友達との別れが辛いようだから、しばらく転校を見合わせましょうと、その場を取り繕った。百合子は後日、掃除の小母さんにリュウの状況を聞いて見た。葬儀のあと、リュウは学校へはきちんと通っているらしい。しかし掃除の小母さんの勘では、リュウは学校に好きな女生徒がいるらしい。
 華子はそれを聞いて不審に思った。
「好きな女生徒がいるのに、どうして不登校になったのかしら」




 作者・桜樹由紀夫さんの自己紹介とプロフィール
posted by 村松恒平 at 02:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 浮世絵と少年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。