2006年07月11日

少年少女Got Short Dance

 騒音の中で並んだ4人は、誰からともなく自然に手をつないでいた。顔を見合わせ、つないだ手を大きく振り上げると、2500人の喝采が空気を揺るがした。壁に大きく表示された21:07のデジタルが歪んだかとも思える音は、間違いなく新しい世界の扉が開く音だった。
「がぁー、やべえ、オレ完璧にハートをぶち抜かれた!」
フィフスが喝采に負けないように大声で叫んだ。
「これ、何ですか?ドォワーって、これっ、僕たちに向かって飛んでくる音ですよね!」
ドクタが涙を潤ませて笑いながら叫んだ。
「気持ちイイーって、脳が踊って喜んでるよ!」
まるで自分に伝えているかの様に、ヒメは宙に微笑みかけて叫んだ。
「お前等サイコーだぜ!」
新しい世界の全ての住人達に、キョウが心からの言葉を放った時、星空にはこの日3発目の花火が、全ての苦しみを浄化しながら美しく燃えていた。

【1】 [ドクタ -始まりの為の終わりの始まり- ]

 肩にかけたベースが重いので、何度も左右にかけ直しながら、夕方の慌ただしい商店街を僕はゆっくりと駅に向かって歩きます。途中には大型家電ビルがあり、店頭に並ぶ10台の液晶テレビは全部同じチャンネルです。その前迄来ると、川で6歳の男の子2人が行方不明になったというニュースを、眼鏡をかけた知的で綺麗な女性キャスターの顔10個で投げかけてきました。僕はそのキャスタ−の左斜め上に浮かぶ17:03の数字を確認すると、そこで立ち止まりました。スタジオの入り時間に余裕がある時は、ここでボーと、テレビを眺めてから行くのです。
 次のニュースは、毎年8月恒例の野外音楽堂でのライブが17:00から始まったというものでした。野外音楽堂は隣街にあって、僕も行きたかったのですけれど高価なのと、文化祭バンド[2年10組]の練習があるのでチケットを買わなかったのです。でも本当は、練習なんてどうでもよく、ライブに行きたいというのが本音なので、10個の画面に映し出された会場前の映像に釘付けになっていました。
 その時、近くでくぐもった音が聞こえ、直ぐ側に人が立っている事に気づきました。ゴリゴリと何かを噛み砕く音源を見ると僕と同じくらい、17歳くらいのサラサラの黒髪と透き通った白い肌の女の子が居ました。彼女も映像に見入っていて、僕の存在等全く気づいていない様です。ゴリゴリという音が小さくなるとポケットから何かを口に運び、また噛み砕き始めました。画面が、知的で綺麗な女性キャスター10個に戻り、次のニュースを投げ始めると、女の子は駅の方へと歩いて行きました。
 僕も行こうかと、ベースをかけ直すと肩を叩かれ、振り向くと顔に激痛が走りました。お腹にも数回何かがあたる痛みがあり、やっと目を開くと僕と同じ歳くらいの女の子が2人、指をさしながらケラケラ笑っています。一人はショートカットのとても綺麗な顔で、もう一人は金色の長い髪を束ねた太っちょ。どちらもジャージにビーチサンダルです。
「マジ日本語通じないんじゃね?」と太っちょが言うと、
「幽霊と話してたじゃん、日本語喋るインドジンっしょ。うわ、鼻血だしてるよキモー!」と綺麗な顔が口を大きく開けて笑いました。
 僕の左右には20代前半くらいの男が2人立っていました。両方長い髪がオオカミみたいで、一人は汚い灰色、もう一人はくすんだ黄色です。さて、僕は何故殴られたのかと、痛む脇腹をおさえながら黄色オオカミを見ていると、横から灰色が僕の顔を蹴り上げました。ベースを落とした僕はそのまま倒れ込み、「痛ってぇ…」という言葉と、口に溜まった血を吐き出しました。
「やっぱ、日本語喋れんじゃん。インドジンさ、幽霊の何なの?」と黄色オオカミ。
「ユーレイ…?」何の事だろうと思いながら、これ以上怒らせるとヤバそうなのでうまく答えなきゃと考えてると、
「テレビ観てたろが」と、髪を掴まれ顔を引き上げられました。
また殴られるかと、咄嗟に顔を手で覆いながら「テレビ…野音?」と言った途端、
「はい、タイムオーバー。インドジン拉致決定ね、おめでとう!」と、灰色オオカミがにこやかに言い、黒のオデッセイの後部座席に引きずり込まれました。通りを行く人が僕をチラっと見ましたが、無関心を決めて歩き去ります。世界はこんなものなのだ…大丈夫、解ってるから。
 黄色が運転席に乗り込むと、すぐに車が動き出しました。リアウィンドウ越しに赤い髪の人が手を振る姿が見えたので、手を振り返しましたが、灰色に殴り倒された為シートの下に。
 インド系の父のおかげでトラブルには慣れっこだけれど、拉致はヤバいな…何とか逃げれないかな。鉄の味がする。ユーレイって何だろう。スタジオ間に合わないな。あれ、ベース何処だろ。赤毛君見送りありがとう。…と、汚いシートの裏を見ながら、僕は色々と考えていました。



作者・和倉さんの自己紹介
posted by 村松恒平 at 23:34| Comment(3) | TrackBack(1) | 少年少女Got Short Dance | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月12日

世紀末の女王(マザー)第一話

 地上に繋がる発射孔が開かれ、地表の暴風が地下構内の空気を吸い上げた。その
音に式典の始まりを感じ、薄暗い構内にどよめきの声が湧き上がる。八方の和太鼓
が単調なリズムを打ち始め、かがり火が揺らめく。地を踏む足音が一つ、二つと太
鼓に重なり始め、やがては群集全てが地を踏み鳴らす。太鼓はうねるように間隔を
縮め、乱打されると、彼らは飛び跳ね、叫びを上げては踊り廻る。
 突然、太鼓は止み、白色のスポットライトが祭司たちを照らし出した。同時に、
壁面の巨大なスクリーンがその映像を映し出す。

 「コン、グラッジュ!レイ!!ショーンス」
男の祭司がオーバーアクションで叫ぶ。群集は大きな歓声で答えた。
「今日のよき日を迎えられて、我々は最高に幸せでーす。マザーに感謝を!
皆さん、拍手!!」 それに応じて拍手の渦が巻き起こる。
祭司は腰を突き出し、片腕を大きく振り回し、拍手を煽る。やがては腕を止め両腕
で拍手を強く押し留める。制止を求める司祭の姿を、下からのブルーのライトが浮
かび上げる。

 拍手が鳴り止み、静寂が訪れ、地上へ向う風音だけが聞こえる中で、女の祭司が
ゆったりした声で話す。
「我々は地上で数々の罪を犯しました。食を貪り、肉欲に溺れ、他人と諍い、動物
を殺し、植物を枯らし、地を汚しました。父なる神は大層、お怒りになり、我々を
滅ぼす決意をされました。マザーはそのような我々を哀れみ神に許しを請いました。
神は七ヶ月の猶予をマザーに与えました。マザーは地下にシェルターを建設し、選
ばれた人間と幾種類かの動物を住まわせました。その後、神は巨大な嵐を起こされ、
暴風と洪水で地上の者達全てを滅ぼしました。また、地下に生き残った者たちの多
くにも罰を下され、その姿を変化させました。おぞましい姿となった者たちを悲し
み、マザーは神に更なる機会を求められました。慈悲深き神はこの地に祝福をくだ
さり、新たなチャンスを我々に与えました」
 
 「さあー皆さん、そのチャンスを見事に掴んだ方を紹介します。山田郁夫さん
その人です。山田さん、どーぞ」 絶妙な間を捉え男の祭司が叫ぶ。
中央の発射台の上に作られたログハウスの扉が開かれ、男が一人、胸を張り重々
しく歩み出る。
「皆さん、盛大な拍手を!!」 
拍手に迎えられ、誇らしげに男は首を何度もかしげ、手を擦る。
それを巨大な画面が映し出す。

「さあ、山田さん、その黄金の席へお座りください」
山田が座ったのを見計らい、祭司が質問を始める。
「どうです?座り心地は」
"いい、至極いいです・・" 耳ざわりな声が響く。
「お母ちゃんの胸の中よりいいですか?山田さん」
”えっ、はあ・・”
「皆さん、お母ちゃんのも、大層いいようですよ」
どっと笑い声が湧き、祭司の顔に満足の色が浮かぶ。

「山田さんは60年の長きに渡り、懸命に働かれました。この危険に満ちた地下世界
平均寿命が33歳という過酷な環境で生き長らえ、見事に試練を乗り越えました。
そんな男の中の男、山田さん。お母ちゃんは何と言って、送り出してくれましたか」
”妻は長い間、ご苦労様でしたと言いました。畑仕事で荒れた手で私の肩をさすりま
した。私も妻の背をさすりながら、お前のお陰で頑張る事ができたと言いました”
「実にいい話ですね、どうですか?皆さん」 拍手が起こる。

「ご家族の事も聞かせてください。」
”現在、息子が2人と娘が2人います。5年前、息子を1人亡くしました。
孫は23人います”
「そうですか、お子さんを亡くされているのですね」
”ええ、先に子供に逝かれるのは辛いです”
「でもお孫さんに恵まれていますね」
”そうです、孫達は可愛いです。孫達に囲まれると元気が出ます”
「皆さん、山田さんに、もう一度、盛大な拍手を」

 拍手が鳴り止むと女の祭司が話を続ける。
「神はこの地で定められた期間を懸命に働き、聖火による救済を受ければ、次の世に
は元の人間の姿で生まれ変われる事を約束されました。そして、人間となりマザーの
導きを受けて、懸命に働き、生をまっとうすれば、再び楽園に迎えられ、永遠の生が
与えられると」

 「さあ、山田さん、聖火による救済の時が近づいてきました。別室にいらっしゃ
るご家族、そして、ここに立会う同教の友たちに残す言葉を仰ってください。」
男の祭司が叫ぶ。
”皆さん、そして妻よ、子供達、孫達よ。私は精一杯、生きる事ができた。それは
貴方たち、全てのお陰だ。貴方たちの1人1人の支えが、私を生かしてくれた。
その事は死んでも忘れない。今日見るサウス孔のなんと美しいことか。
あくまでも黒く沈み込み、その質量は私を圧している。あまりにも圧倒的だ。
旅立つ日を迎えて、私は・・・”
感極まった山田に群集の拍手が沸き起こる。

”皆さんの全てが、後に続くのを信じています。マザーに感謝を!!”



作者・マグナジオさんの自己紹介
posted by 村松恒平 at 00:01| Comment(2) | TrackBack(2) | 世紀末の女王(マザー) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月19日

私の×造(チョメゾウ) 「虹を見たかい!」

蒸し暑い夏の終わりの昼下がり、ご主人は、鼻血の出そうなほど憤って、タイヤチューブを睨んでいた。パンクの修理が間に合わず、予定していたサイクリングが中止寸前だったからだ。
自転車の脇で、群がる薮蚊と格闘しながら、汗だくで修理に取り組むご主人に、目が合ったら蹴飛ばされそうな雰囲気。「ああ、くそっ」とか言って、藪蚊を叩いたり、自転車を殴ったりする、一触即発の気まずさ。オレは身じろぎ出来ず、そこから立ち去るきっかけを探していた。

数ヶ月前、奥様の提案で購入した、色違いの新品自転車2台。ところが自転車の外出は、いつもどちらか一人だった。奥様のパートと、定年近いご主人の仕事で、休日が合わなかったからだ。だからこの日は、二人揃って初めてのサイクリングというわけだ。

前日ご主人は、空気入れやカッパや修理具など買い込んで、晩は地図を広げ、奥様と深夜まで話し合って、いつになく陽気なご様子。幸せなご夫婦の邪魔をすまいと、オレは早めに寝床についた。

当日の朝、普段より早起きして、弁当の準備をしていた奥様は、オレにお裾分けしてつぶやいた。「嬉しい朝よねえ。」
どちらかというと古風な奥様だが、この日に限って鼻歌まじりで、決して若くないご夫婦の昼食にしては、ずいぶんな量の弁当をこしらえていた。ご夫婦の間に子供がいたなら、年相応に老けていたかも知れないし、オレはここに居なかったかも知れない。

ご主人が不似合いなデイバックを背負って、奥様は珍しくジーンズをはいて、「さあ」と自転車にまたがったところで問題が起きた。昨日まで何ともなかった奥様の自転車の、タイヤの空気が無い。すぐにご主人が空気を入れ直して出発したが、5分もすると自転車を引いて帰ってきて、「すぐ済むよ。」とオレにウインクしてパンク修理を始めた。

チューブを引っ張り出して、空気を入れて、洗面器に汲んだ水にそのチューブを入れて、空気が漏れている穴を見つける。そしたら、穴の周辺を紙ヤスリで粗くして、ゴムのりを均等に薄く塗り付けて、替ゴムを貼ってトンカチでバンバンバンって叩くんだ。ご主人は、さも楽しそうに説明しながら作業した。うん、うん、と頷きながら横で見ている奥様は、頼もしいご主人にうっとりしていた。

ところが10分経っても20分経っても、破損個所は見つからず。奥様は頑張って姿勢を変えずに待っていたけど、ご主人は苛つきはじめ、「自転車屋探してくる」と言って、プイと一人で出掛けてしまった。仕方なく奥様は、一旦家の中に戻って、ご主人のためにお茶の準備を始めた。

ご主人は結局、1時間位して自転車を引いて戻り、再び黙って修理開始。奥様が気がついて家から出てくると、「店、閉まってた」とだけしか言わない。オレは気を遣ってご主人に愛敬振りまいたが完全無視。今度は奥様がご主人に気を遣って、あれこれ話し掛けたが、ご主人は気を遣われれば遣われるほど苛立つご様子。

ご主人は、脇目も振らずああでもないこうでもない、と作業を続けている。「ああ、もお」とか「ちぃぃ」とか言うから奥様も落ち着かなくなってきて、「またにしましょう」「お弁当食べよう」と言った。言ってしまった。

奥様が言った後「カチン」とどこかで音がした。ご主人の顔は、見る見る赤くなり、オレは怖くなってひるんだ。奥様も、その場で固まってしまった。ご主人の瞼は厚みを増して瞳が暗くなり、その手は、ぴたりと動かなくなった。怒りのぶつけどころは?オレか?

そのまま皆、しばらく黙っていた。
「昨日、私がちゃんと確認しなかったから。ごめんなさい。」と奥様が口火を切った。
「なんでお前が謝るんだ!」そう叫んでご主人は、水を張った洗面器をオレに向けて蹴飛ばした。不器用にも、洗面器は見当違いの方向にひっくり返って、奥様のジーンズがびしょ濡れ。
「ごめんなさいって言ってるじゃない!」
「だから!お前が謝るな!」

奥様は手で顔を覆ったまま立ち尽くしていた。ご主人は、狂った機械のように、チューブへの空気を入れはじめ、怒りの矛先となったタイヤチューブは、元の2 倍以上に膨れていた。ご主人が手を休めたとき、微かに空気の漏れる音がして、眼を腫らした奥様が、洗面器に水を汲んだ。ご主人が、巨大なチューブの点検を始めると、

ぷしー

一瞬、洗面器から飛沫が昇った。
ご夫婦は、チラと目を合わせ、すぐに洗面器に視線を戻した。沈めたチューブの一点から、仁丹のような泡がぽこぽこ出ていた。「ここだあ」ご夫婦は揃って目頭を熱くしていた。ご主人は、チューブを握った手を離さず、その位置を調整しながら何度も飛沫をあげて、奥様と二人で「ぷしー」を見て泣き笑いしていた。

「ちょめぞう、来い!」オレは、ご夫婦に呼ばれて、思わず尻尾を振って近づいた。「見ろ!」ご主人と同じ方向を見ると、自転車を跨ぐくらいの小さな虹が架かっていた。
オレは初めて虹を見た。
とても綺麗で、うれしくて、何度も何度も虹に向かってジャンプした。



作者・chitokuさんの自己紹介
posted by 村松恒平 at 00:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 私の×造(チョメゾウ) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月24日

彼の岸異聞 ( 2.風呂嫌い )

小男の世話で、幸太は南山麓の洋館に間借りをした。南山は大連埠頭を望む低いはげ山だ。ふもとには東洋一と名高い満鉄大連病院、斜面は大連に住む日本人の高級住宅地になっている。

馬車や洋車が往来する広い石畳の並木道を通りぬけ、煉瓦塀に囲まれた贅沢な洋館に着いた。玄関を入ったとたん、分厚い敷物の上に寝ていた足の太い黒犬が幸太に吠えついた。金の首輪を光らせて生意気だ。幸太は犬の首っ玉をぎゅうとつかんで宙吊りにしてやった。犬は面食らって暴れたが、幸太がびくともしないと知ると耳としっぽを垂れて情けない声を上げた。

洋館の女主人は桃色の洋服に揃いの小さな帽子を頭に載せた化粧の濃い中年女だった。内地の女性は化粧はおろか、服といえば白ブラウスに絣のもんぺ姿だ。幸太は目を丸くした。女主人は満足そうに、伊勢町で洋品店を営んでいるのと愛想良く笑った。
「大連の銀座といえばいいかしら」
「わしは銀座やこ、知らん」
女主人は一瞬憐れみの目で幸太を見たが、口元を手で隠して如才なく「おほほ」と笑った。その足下に先ほどの黒犬がすりよって鼻を鳴らした。女主人は案外と手荒く犬の鼻面をはたいた。
「黒毛でしょ、毛が着いてねぇ…、失敗だったわ。」犬をにらんで嘆息した。しょぼくれた犬は背を丸めて出ていく。女は桃色のスカートが汚れていないことを確かめて満足げな笑みを浮べた。

大きな暖炉の客間で、小男と女主人が親しげにしゃべりはじめる頃、幸太は軽い吐き気を感じた。部屋に満ちた香水の匂いにあたっただろうか。大きなドアのような窓からこっそり庭に出て大きく息を吸った。山が近い。乾いたそよ風にアカシアがざわめく。いっそ山で野宿でもした方が気が楽だ。こんなお上品なところで暮らせるもんか。

その時、足もとに暖かな気配を感じた。見るとさっきの黒犬だ。幸太の足下に座って親しげに幸太を見上げ、しっぽを振っている。
「おまえも山に行きたいんか?」
犬の目がキラリと輝いた。

満人の阿姨(アーイ お手伝いさん)に
「そのへんを歩いてきます」
と言い置いて、幸太は犬と一緒に道へ出た。幸太が走ると犬がじゃれつく。幸太と犬は追いつ追われつ、子供が鬼ごっこをするように斜面のアカシアをぬって駆けまわった。黒犬はこの散歩が気に入ったらしい。幸太が行くところへはどこでもついてくるようになった。幸太は動物好きではなかったが、懐かれるとつい手をかけた。犬はますます幸太に懐いた。

とても暮らせないと思った家だったが案外と居心地が良かったのはこの黒犬のおかげだったかもしれない。さらにもうひとつ良いのは、この女主人がきれい好きで風呂好きだったことだ。幸太も風呂が好きだった。

時たま、仕事で旅順へ行った。幸太は黒犬をトラックの助手席に乗せて行き、帰り道、老虎灘の漁村辺りで犬に水遊びをさせた。浜で大はしゃぎする黒犬を見るうち幸太も泳ぎたくなる。白ふんどし一丁で幸太が泳ぎ出すと、黒犬もおそるおそる海に入り犬掻きでついてくる。幸太の泳ぎは音をたてずに川を渡るための古式泳法で、速度はないが体力の消耗が少ない。長く泳いでも平気だ。ところが黒犬は泳ぐのは速いが、途中で疲れてしまい放っておくと沈みかける。結局、幸太が犬の首を抱えて岸まで連れ帰らねばならない。そんなことが何度かあったが、犬はやっぱり幸太の後を、そこが陸だろうと海だろうとかまわずについてくるのだった。

7月の終り、幸太は初めての遠出の仕事を言い付かった。半月近くもかかって洋館へ戻った頃はもう盆の入りだ。黒犬がさびしがっているだろう。あいつめ、このところ鼻水を垂らしていたからな。あの女主人に冷たくされ、しょぼくれておれを待ってるに違いない。洋館に戻る道々、幸太は自分が駆け足なのに気づいて苦笑した。さびしかったのは犬も自分も同じ、いや、この駆け足はどうだ?黒犬に会いたくてたまらないのは自分の方だ。

「それが、熱を出してね。ええ、鼻水も目やにもひどくて…、毛が抜けて汚くて、最後は用も足せなくってね、大変だったのよ」女主人は雑誌から目を上げて幸太に愛想良く微笑んだ。女主人がひざに抱いた毛つやの良い灰色の猫が横目で幸太を見てそっぽをむいた。
「もう犬は止しだわ、今度は猫にしたのよ。どう?良いでしょう」
「犬の墓は?」
「ほら、病気だったから死骸も汚くってね、人に頼んで処分してもらったわ」

その晩、幸太は湯に浸かって立ち昇る湯気をぼんやりと見ていた。湯気はいつのまにか生き物の形をして跳ねながら幸太の周りを何度も回り、幸太にじゃれついてくる。それがどうしても、はしゃいで駆けまわるあの黒犬に見えた。わき腹のあたりに黒犬の体温と重みを感じてはっと目が覚めた。火の消えた仕舞い風呂でうとうとしていたのだ。それにしても…、と幸太はわき腹をなでた。これは黒犬を抱えて海岸に泳ぎついたときの感触ではないか。濡れた毛並み、暖かい吐息。幸太は小さく息を吐いた。

翌朝、幸太は洋館を後にして朝日の道をアテもなく歩いていた。

「知っとるか?満人はな、わしらが湯に浸かるのを汚いと言うんじゃ。尻まで浸かった湯で顔も洗う、と言うてな。」後々、風呂嫌いのわけを人に聞かれると幸太は決まってそう答え、なぜか小さく息を吐いた。



 作者・はなさんの自己紹介とプロフィール
posted by 村松恒平 at 10:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 彼の岸異聞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月31日

世紀末の女王(マザー)第二話

山田の言葉は群集の胸に強く響き、拍手は大きなうねりとなり
帰ってきた。
「素晴らしいですねえ」
男の祭司は軽妙に彼らの渦に後乗りし、拍手を添えた。
「山田さんの言葉は我々を強く揺さぶりました。必ずや皆さんも後に続け
る事と信じます。どうですか、皆さん!?」拍手はまた大きくなった。
「しかし、私は更に問わなければなりません。山田さんが旅立つにあたり、
全ての思いを皆さんに伝えられたのか、心残りはないのかを」
「それが私の務めとなります」

 「さあ、山田さん、お尋ねします」
「行きますよー ファイナル! ワーズ!?」祭司は片手を上方に突き出
した。太鼓が小刻みに鳴り響き、最後の音を打つと会場に静寂が訪れた。
”ファ、ファイナル ワーズ!” 山田は強張りながらも答えた。
「ファイナル! ワーズ!!」司祭は両腕を大きく掲げ、聴衆の歓声を
浴びる。同時に、ログハウスの装飾灯が一斉に点き「おめでとう」の文字
が燈されると、死の扉が開いた。
そして、次にドアが閉ざされると、ドアと内壁を覆った金属網に高圧電流
が流れ、再び出る事は不可能になる。

 「それでは山田さんに聖火の家に入っていだたきましょう。」
山田は聴衆に深々と礼をする。礼をしたまま動けなくなった山田に2人の
祭司が寄り添い、ログハウスに向う。口々に聴衆は言葉を掛け、会場に引
きつった音声が満ちる。泣き出す者、飛び跳ねる者、座り込んでしまう者、
それぞれの思いを込めて彼を見送る。 そして、ドアは閉ざされた。

 「さあ、皆さん、ご唱和、お願いします」
「3、2、1、 ファイヤー!」
2の時点で押されたスイッチで、屋根に取り付けられた多くの容器の底が
開き、大量の燃料が流れ落ち、装飾灯を次々とショートさせ引火する。一瞬
にして火柱が立ち、ログハウスを呑み込んだ。炎は明々と会場を照らし、
群集の一人一人の姿を浮かび上げた。大きめの顎、細めの強靭な腕、硬質の
茶の表皮。人間の原形を留めながらも、キチン質の表皮を炎で鈍く反射させ
て踊る彼らは、虫のように見えた。

 ログハウス内で山田は鏡を見ていた。鏡の中の顔を眺めながら思いに耽る。
『上出来の人生だった。皆に送られ、俺は幸せ者だ・・』
『第七孔・・難しい工事だった。邦男と昌徳が死んだ・・俺は何とか落盤
から掘り起こされた』次々と過去の出来事が浮かび上がってくる。
突然、揺り戻しが心に生じ、確信が崩れ、疑問が淀みとなって心に滞る。
『俺は自分の思いを述べたのかな。怖いぐらいうまく話せたが、今となる
と自分の言葉じゃなかったような・・』

 燃焼音が響きハウスが揺れた。焦げた匂いが煙と共に山田へと漂ってくる。
突然、床の一部が下に開き、三名の男が現われた。あっけに取られている
山田に次々と麻酔弾を打ち込んだ。男たちは医療軍の兵士であった。
防火服を着た兵士達はすばやく山田の体を地下に運び入れた。

 ログハウスは炎上していた。丸太と言っても、孔内の二酸化炭素を軽減
する為に植えられた羊歯植物を粉砕した物で、乾燥し軽く圧縮して作られて
いた。本来はキノコの菌床となる物で火の廻りは速かった。
ハウスの延焼に合わせ、太鼓は高鳴り、群集は踊った。突然、ハウスが崩れ、
炎が大きく揺らめいた。炎は次第に翼の形となり、羽ばたくと群集の心は
黄金の時の中にあった。懐旧の涙がこぼれ、その涙の中に天使の顔が浮かぶ。
天使は微笑むと再び羽ばたき、地表へとゆっくり昇っていった。
”マザー” 次々と叫び声が上がり、群集は慟哭した。

 篠田 快は泣き崩れている群集をディスプレイで眺めていた。
ポジティブ数、エモーション数とも高く、群集の同調、興奮の高さを示して
いた。篠田は技術者層であり、最下層の労働層とは違い、外観上、虫化は
されていなかった。彼はこの式典のディレクターの一人で、この式典の構成
を任され、聴衆の反応を観察していた。群集の音声は分析機を通り、瞬時に
デジタル標示されていた。抽出された一人一人の映像も分析され、短時間で
表になって、後程、篠田に届けられる。 
『いい数字が出た』 会議での反応を予想して、自然と笑みがこぼれた。

 連絡が入り、山田の生体が保存カプセルに収容された事が告げられた。
『これで、俺の同類がまた出来るわけか』山田のあっけにとられた顔が浮か
び、篠田は笑いを浮かべた。その笑いは篠田内に潜む虫の要素へも向けられ
ていた。山田のように60年間を全うした虫化人間の遺伝子が取り込まれ、
篠田は誕生したのだった。



作者・マグナジオさんの自己紹介とプロフィール
posted by 村松恒平 at 16:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 世紀末の女王(マザー) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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